
マッドマックスを一番繰り返し見た。
中2のときなんかなあ
あれから復讐ものが大好きになった

最近ちょっぴり調子よく
運気も上向き中
長続きしないことは経験上 百も承知
何がいいかはわからないけど
謙虚さと感謝の気持ちを忘れずにってか・・・

あのころのメルちゃんどこいったの?

私は価値観なんて言葉を軽々しく使う人は好かんとDEATH。
「価値観が一緒だから一緒にいて楽しい」
「人それぞれ価値観が違うからしょうがない」
まあ世間一般でつかわれかたは、「好き嫌い」「趣味」といった意味合いなんやろ~。
目くじらを立てるつもりは毛頭ありまへん。
価値観というからにはよって立つ世界観があるはずでんねん。
のぶかつデス


世界観というのはまあ、勉強しなくてもだれでも持っているもんやけど、
今の日本でふつうに暮らしている限りにおいて、
ごく一般的に醸成されるのは極めて陳腐で一様な世界観としか思えまへん。
よって立つところの世界観が陳腐なのですから、
価値観も陳腐なものにしかなるわけねーだろ、って思いまぴ。
陳腐なもの同士、微妙な差を指して価値観がどうたらなんたらいっているだけやん。
もちろん私もその一人でっけど・・・

例えば命題を一つ。
自然界には極めて「美しいも」のが沢山ありますわな。
花しかり、海しかり、肉食獣の肉体美、人間の肉体美などもその一つでっけど
これにあえて人間が作品を提示する理由や意味は果たしてあるんかいな?
かれらが表現したかったのも宇宙の美しさであるならば、
目の前に沈む夕日の美しさを眺めて堪能したほうが、
あるいは写真やDVDなどバーチャル体験技術を駆使したほうが、
ミケランジェロの彫刻やゴッホの名画を鑑賞するより
よほど価値があるんちゃうの?
人間が美を再表現し、それをまた人が鑑賞する、
ということはいったいどんなことであり、どんな意味があるんやろ?
こういった考察の末に、それでもなお恥じらいをもって
ようやくいうことができるのが「価値観」なんやと想うねん。

生死や社会についても同じやろ。
難しいことばや論理的な思考が必要なわけではなく、
悩み苦しみの中から拾い上げた宝石を「価値」あるいは
「価値観」と呼ぶんやと想うねん。
恥じらいのない宝石の光を私は美しいとは思いまへん。
あ、これも私の嫌いな価値観だわさ。
ちなみに、陳腐な価値観ってのも私は大好っきやねん。矛盾すっけど・・・

日本の町並みを欧米と比べて整っていないとか、
下品だとか、いやアジアのパワーを感じてとか、
下らん議論で勝手に「あるべき街並み」なんてのを決められるのは、
これまた好かんとDEATH。

混沌、猥雑、結構。一部の人間による「美しいだろう」という判断なんて、
全くあてにならんと私は思ってまんねん。
陳腐が集まった群衆が、理屈ではわけのわからん流行や文化を作っていくのねん。
私はどんな名画よりも、板宿のプラットフォームの端っこの足元で、

雨風に、酔っぱらいのゲロに、ヤンキーもどきのポイ捨てタバコに、
吐き捨てたチューインガムに、風邪っぴき中年おっさんの吐いた痰にまみれ、
シミだらけになってすりへって色褪せてしまった、
視覚障害者用のデコボコした黄色い通路指示のプレートの方が、
よほど「美しい」と思う人間だんねん。
「あっ、どうでもええわ~」